自信とは
ついたかと思うとすぐ手からすり抜けてしまいますね。
先日、日本語のMCをあるイベントでやって
思いの外おほめ頂いて
「青谷さんに頼んでよかった」なんて言ってもらえて
その気になって
そのまま翌日香港の日本語教育セミナーで
朗読についての講演とワークショップをして
「注文の多い料理店」を読んで
これまた驚きの反応があって
すっかりその気になって
「自信」がついた
と思ったら
昨日ナレーション収録をして
英語版はほぼノーミス
なのに
かなり練習した日本語でドツボにはまり
NG連発
最終的にはもちろん「作品」として恥ずかしくないものに仕上がったけれど
スタジオ時間時間ぎりぎりで
迷惑をかけてしまいました。
こんなにうまくいかない収録は初めてで
多いに多いに凹みました。
というかまだ凹んでいるかな。
自分を信じていたはずなのに
できる!って思っていたのに
なんで?
香港やMCでは「頼んでくれた人の顔に泥ぬれない」
みたいなところもあって
「、参加者に楽しんでもらうため、たのんでくれた先生のため」
みたいな気持ちの方が圧倒的に大きくて
どういう結果になったかなんてわからないまま
(それはそれでプロとしてどうなんだろうと思うけれど)
がむしゃらに、必死にやっていた。
一方ナレーションは
「いいもの作るぞ」っていう気持ちの方が多分強かった。
勝敗はそこなのか?
いいもの作るぞ の何が悪いのか?
って思うけれど
そこには「かっこつけ」があって
「いい結果を期待する」が
自意識過剰を生んだのかな?
アナウンサーとして
「良き音声表現の源泉は、語る内容への愛情と、
今この放送を支えてくださる周囲の人たちへの感謝である」
などとよく言われます。
何が足りなかったのか。
なぜ集中力が欠如したのか。
自信があったから?
自信っていったいなんだろう。
凹むとは自分に期待しているからで
期待をしないでがむらしゃらにやっていれば
いいのだろうか。
もっと上を目指して
できるかも?
って思うから
できないと凹む
でも上を目指さないでどうする?
自信はどちらにあるんだ?
自信はあったほうがいいのか?
ただ、
まだまだ
まだまだ
と思っていないと
私みたいな人間はダメになる
(これが上を目指すということなのかもしれないけれど)
ということを大いに学びました
準備
一生懸命やる
それだけなんだよね
結局
で
いつか気が付いたらついてるものが
自信なんだろう
自信は持ったほうがいいっていうけれど
多分私は
ある程度ドキドキしてた方ががんばれる
できない仕事はふられないのだから
(依頼した人だって困るしね、できなかったら)
その時点である程度は必ずできる
という自信は多分持っていい
色気を出さず
期待に応える
自分にできることを精一杯やる
自分を信じるということは
「自分の実力を知る」
ということなんだな
ということを体験した一日でした。
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