1月も終わり、きっとこの調子で2、3、、4、、、
とあっという間に2019年も終わるのでしょうか?
先日もチコちゃんが
「大人になるとときめきが減るから時間のたつのが早い」なんてこと言っていて
ああそうかもしれないと思いました。
年末酉年会(!)の忘年会で同い年の人が
「最近感動がなくて・・・」とぼそっとつぶやいていたのを思い出しました。
確かに
わくわくや感動が最近あまりないかも・・・。
ここ1,2か月は大学で講義をすることが多く(とか言って一か月に3,4回ですが)
若者を前に話をするのですが
その中で一番大事にしているのが最後の
Q&Aの時間です。
「質問、途中でメモしておいて、最後に必ずきいてよ!」と
最初に念を押します。
するといつもは下をむいてもじもじする学生たちも
(それじゃあダメなんだけどね!)
なんとか手を挙げてくれます。
このQ&Aセッション、自分にとっても一番の山場でして。
なぜなら「アドリブ」力を要求される場だからなんです。
どんな質問が来るかわからない。
どんな質問が来てもきちんと答えを出す
出せないなら何故出せないか明らかにする。
これをしないといけないからです。
ただ最近の質問は「解答」を求めるものが多くて
(どんなラジオ番組が好きですか?)
(どんな英文がいい英文ですか?)
(間はどのくらいがいいですか?)
など、
こちらで勝手に条件をつけて(そうじゃないと漠然としすぎるので)
自分が答えやすいようにして答えられる質問が多かったのです。
これ、答え方によっては自分のいいように話をもっていけるので
ものすごくハードル低いのです。
ところが先日、神奈川大学に行ったとき
「音読と朗読について細かく分析していましたが、その先に何があるんですか?」
という質問をされました。
ぎょっとしました。
ぐさっと突き刺されたような気がしました。
その先に何があるんですか?
怖い質問です。
深い質問です。
でもその場では何か言わなくてはいけない。
ちょっとだけ目をつぶってしまいましたが
その時出した答えは
「聞き手(観客・生徒・商談相手・監修など)それぞれに沿った
話し方、プレゼンの仕方、語彙の選び方を研究して同じ内容でも
それぞれの人に一番最適な「伝わる方法」を工夫して表現する、
ことでしょうね」というものでした。
自己採点:まあまあいい答えかな?75点。
確かに「音読」(準備段階) から「朗読」(聞き手を意識した表現方法の実践)
そして
臨機応変なプレゼン技術構築(応用編)と段階としては悪くない。
この3つ目には解答はなく、自分の経験と常識からその場で瞬時に
最適の表現方法、語彙を選び使わなくてはいけない、
という「アドリブ・応用力」が求められる。
そこには「自分」という「他にはできない」貴重なスパイスを入れることが必要なのです。
久しぶりに「うっ」となる質問で、
同時に(「やるなぁ!」とうれしく)心が躍りました。
その反面、
「その先に何がありますか」という質問のもっと哲学的?な側面
「青谷さんこれから何するの?」という問いが同時に心に聞こえた気がして
東横線に乗りながら、ずっと土曜日から今朝までずっとずっと
考えていました。
実は先週火曜日に早稲田大学で講義をした後
担当教授と食事をした際にも
「青谷さん、話し方にキレが出てわかりやすくなったね。
でも何か変わったような気がする。
そろそろ次じゃないの?自分に投資してみたらどう?」
と言われたり、
日曜日に(毎月うちに来てお稽古つけてくれる)
カナダ人のナレーションコーチにも
「君のやってることとても面白いけれどここで終わり?
これを使って何かしないの?」と
立て続けに同じようなことを言われ
こ、これって・・・・
「お告げ!?」と衝撃を受けている(←いまここ)
状態です。
時に偶然は必然で、
その合図に気づくか、気づかないか、
反応するかしないか、
What if...のあとに何がくるのか
決めるのは自分で
行動するのも自分で
覚悟するのも自分。
「現状維持は後退の始まり」って
松下幸之助さんがおっしゃったんですね。
(今調べた!)
実はいつもいつもそう思っていて
このままではいけない、前進前進と思って過ごしていました。
だから、NHKやめたときは
「いやいやそろそろ立ち止まって今までのおさらいをしよう。
少しのんびりやりたいことをやっていこう」と思って
この4年間を過ごしてきました。
とは言え、フリーランスは初めてで学ぶことも多く
初めてのお仕事(目の前の人に話す!!)におたおたしたり
して新たな経験を積むことができました。
その中でわかったのは
実践で培った人は「何故そうなるか」を体系的に説明するのが下手。
というか、私だけのことかもしれませんが、
失敗ー工夫ー成功みたいなことを繰り返していて
改善はするけれどいちいち「あの時はこういうことをしたから
失敗した、ここをこう改善したらこうなる。もしこうしたらどうか?
他の人はどうなんだろう、何か規則性はあるのだろうか?」という
分析はしてこなかったんです。
時間もないし、実際必要なかった。
いい番組を作り、いいアナウンスを伝える。
いいな、という先輩の技を盗む。
それでよかったところがあったのです。
(管理職じゃなかったので・・・)
ただ、「教える」ということをしてみると
「何故それがいいのか?」を説明しないといけない。
そこが私には大きく欠けている。
アカデミックに学んでいないから。
「アカデミックじゃないので」
「私の経験から」がここ4年の口癖でしたが
「私の経験」はもう過去のことでそれを繰り返すことしかできない。
朗読という形で多少進化を遂げるかもしれないけれど
現場を離れた今経験を話すということは身を削っていくこと。
身はいつまでもつのか?
「現状維持は後退の始まり」をひしと感じています。
その先に何がありますか?
その先に何があるんだろう?
真剣に考えた週末でした。
今までも似たようなことを言われたことがなかったわけではないのですが
いやいや、もう50だし時間がねぇ。
いやいや、お給料がないフリーな身分で自分のためにお金使うなんて
とかなんとか言ってました。
・・・・これは自言い訳で逃げだったなぁと思いました。
なぜなら私はNHKを辞める時、5年間はあまり稼げなくてもなんとか
やっていけるようにとスタートアップ資金とその後の生活費を貯金したんです。
その貯金はまだ一円も使ってません。
50までいたら年金や退職金の額が違うのに
あえて45才でやめたのは
「何か始めるのに50では遅いのではないか?」と
思っていたからではないか?
5年前の自分には覚悟があったのに
フリーになってからの自分は
周りの優しい人たちに頼りすぎていた。
今までの経験が特殊だったのをいいことに「現状維持」に満足していた。
気づいちゃいました。
でも人生100年の今、
これからまだ数十年先まで働くことになろう今、
このままでは削る身がなくなる。
絶対「もたない」。
と思っています。
まったくもって新しいことを始める、ということではもちろんなく
今までのNHKでの経験、ここ5年でのフリーランスの経験を生かして
自分にできる、何か新しい「形」を生み出すべく「投資」をする…挑戦する。
なーんて偉そうで、
始める前からもうすでにドキドキしてあきらめてしまいそうになるのですが
「ドキドキ」って必要。
(若くいられる!早稲田の先生なんて65歳なのに少年のよう!)
その先をみてみたい。
その話を夫にしたらNHKを辞めると言った時と全く同じ返事でした
「やりたいことがあって、やれる条件があるならやればいいじゃん。
投資した結果職業人生が10年長持ちする可能性があるなら
俺なら迷わずやるよ。
まあ俺はやりたいことないからやらんけど」
正論。
この人基本「正しい」答えだすんです(笑)
ほんと、、、「その先」に何があるんでしょうね。
石橋を叩いて叩いて、ひびが入るくらい叩いても
なかなか一歩を踏み出さない私ですが
「その先に何がありますか?」
の答えをさがしにいきたいと思います。
1年の計は1月28日あった!
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