「職人」というポジション
- 2015/07/03
- 09:30
GIANTSの鈴木尚広選手が代走!スペシャリストとして
初のオールスターに選出!
おめでとう!!
すごいよね、37歳ですよ。
多くのプロ野球選手が引退を考える年齢で、代走で日々準備をしている。
かっこいいなーと常々思っていました。
あ、私中学時代に日本に帰ってきて、原辰徳のHRをテレビで観て、
あの万歳しながらベースを一周する姿をみて
「神々しい!」と一目ぼれ。大の巨人ファンになりました。
以降薬局に「アイリス」のポスターもらいに行ったり、多摩川グラウンドに通ったり・・・
G帽かぶってメガホン握ってテレビ観戦するっていう・・・
カープ女子に負けないくらいの熱血ぶりでしたのよ(笑)。
(今は落ち着いてますがやっぱり巨人が負けるとちょっと不機嫌・・・今年は不機嫌率がやや高い!)
多摩川グラウンドでも当時は川相選手が気になっていて、
そりゃ原さんの「ザ・スター」ぶりはもちろんすばらしいんだけど、
熱い熱い代打(犠打)オトコや、「代走スズキ!」と声がかかるまで黙々とウォーミングアップする
「職人」姿にはなんだかもう魂がね、揺さぶられちゃいます!
だから今回の選出(原監督の推薦!!)ものすごーーーく嬉しいんです。
あー神様はちゃんと見てるー!って胸が熱くなりました。
職人だからきっと誰が見ようと見まいとも黙々と準備をして本番に備えて、
本番はびしっと決めちゃうんだろうけど。
心の中には葛藤とかあるんだろうなぁ・・・って思っていたので余計嬉しかったです。
昨日、セミナーのキャンセル待ち申し込みと一緒にメッセージを頂きました。
「社内通訳をやっていた時、毎日ハードで、でもお昼に青谷さんのニュースをみて元気をもらいました」
ちょっと泣いてしまいました。
あたしのニュースが人に元気を与えてたなんて。
びっくりしました。
ありがとうございます。
実はNEWLSINEのアンカーになる前はもうレギュラーはもらえないかなぁって
思う時期があったんです。
若い、優秀な外部出演者が沢山いて、ポジションは4つしかなくて、
お昼なんて一番人気のある席をもう40にもなった、子持ちの(美人でもない)おばちゃんに
やらせる・・・っていう理由もなくて、インタビューリポーターをしていました。
最初の頃はいいプロデューサーさんがいて取材にもバンバンいけていたんですが
その方が異動されてからは、だんだんそのコーナー自体が消滅しかけて
青谷も干されるようになってきて・・・。
あせりましたよ。
一応当時からいつか独立しよう!とは思っていましたが、
こんな風に消えてなくなる状態で辞めるのは絶対にいやだ!
なんとかもう一度ニュース読まないと、自分の英語アナウンサーっていう仕事を全うしないと
辞めるにやめられない!!!という気持ちもあって、勇気を出して相談しました。
「ニュース読ませてもらえませんか?」「もう一度チャンス下さい」って
「うーん、なんかもう青谷さんの時代じゃないんだよね、こう波がきてないっていうか・・・
ネイティブじゃないし・・・。まあ代打とかならね、なんかほら専門もないし・・」というお返事。
波って?・・・と愕然としましたが、仕方ない。
立候補してキャスターやるなんてできませんからね。
そこから「控え」の時代です。
ただまあ、ぎりぎりの人数でまわしてたので風邪ひいたり、
夏休みとったりする人はそこそこいるわけで、
出番もないこともない。
でも出た時は目立つので絶対に失敗は許されない。
(スターが休むから番組的にはピンチだし)
自分を「職人」と思っているところがちょっとあったので、
(図々しい話ですが・・・・スターではないし、間違えない安定感と
尺調整と番組をきれいにまとめるのはとても自信があったので)
出番がくるととにかくしっかり仕事をすることだけに努めました。
「あー××さん今日休みなんだー。」
「おはよう!」の挨拶の代わりにそんなコトバから始まる朝でしたが
「あたしは職人!」と自分に言い聞かせて仕事して
「お疲れ様でした!」と自席に戻る。
そんなこんなで日々を過ごしていたら
東日本大震災が起きました。
放送は完全フル稼動。
代打とかそんなの言ってられず、私もニュースラインチームに入りました。
無我夢中。
必死。
家に帰ると抜け殻。
そんな状態が続きましたが・・・番組が通常体制に戻ると。。。元通り。
代打だったり、吹き替えや短いリポートのナレーションやったり
資料の整理したり・・・そんな毎日がまた始まりました。
「あたしは職人!」と言い聞かせて吹き替えにもナレーションにも読みの工夫をしてみたりしましたが
「大丈夫ですよーそこまでしなくても!」と笑われたり、
がんばろうと、沢山書いたインタビュー企画は
「こんなに一度に出してきて。。。青谷さんも浅いねぇ」と
企画書を机の脇にポーンて投げ出されたり・・・
「空回り」というコトバで頭がいっぱいになったりもしました。
そんな時突然 「青谷さんに昼のニュースやってほしいっていう声が
あって。レギュラーやることになったから」と耳うちされました。
え????
見ててくれた人がいたんですね。
驚きましたが、そこから辞めるまでの3年間はホントウに思い出深く、
これまたいいチーム、いいプロデューサーやアドバイザー、
同僚キャスターに恵まれ、
朗読番組も同時進行で作れて充実した時を過ごしました。
やりきったという気持ちと同時に、
自分がやりたい道もはっきり見えてきて
2015年2月独立しました。
あれから半年。
今は控えどころかプレーするチームもなく一人でやっていますが、
過去のああいう経験が自分を支えてくれています。
小さいプライドですが、腐らず凹まず努力を続けるといいことが絶対ある。
そう信じることにしています。
鈴木選手の記事を見てそんなことを思い出しました。
おめでとう!!
盗塁絶対決めて下さいね。(ヒットも)
初のオールスターに選出!
おめでとう!!
すごいよね、37歳ですよ。
多くのプロ野球選手が引退を考える年齢で、代走で日々準備をしている。
かっこいいなーと常々思っていました。
あ、私中学時代に日本に帰ってきて、原辰徳のHRをテレビで観て、
あの万歳しながらベースを一周する姿をみて
「神々しい!」と一目ぼれ。大の巨人ファンになりました。
以降薬局に「アイリス」のポスターもらいに行ったり、多摩川グラウンドに通ったり・・・
G帽かぶってメガホン握ってテレビ観戦するっていう・・・
カープ女子に負けないくらいの熱血ぶりでしたのよ(笑)。
(今は落ち着いてますがやっぱり巨人が負けるとちょっと不機嫌・・・今年は不機嫌率がやや高い!)
多摩川グラウンドでも当時は川相選手が気になっていて、
そりゃ原さんの「ザ・スター」ぶりはもちろんすばらしいんだけど、
熱い熱い代打(犠打)オトコや、「代走スズキ!」と声がかかるまで黙々とウォーミングアップする
「職人」姿にはなんだかもう魂がね、揺さぶられちゃいます!
だから今回の選出(原監督の推薦!!)ものすごーーーく嬉しいんです。
あー神様はちゃんと見てるー!って胸が熱くなりました。
職人だからきっと誰が見ようと見まいとも黙々と準備をして本番に備えて、
本番はびしっと決めちゃうんだろうけど。
心の中には葛藤とかあるんだろうなぁ・・・って思っていたので余計嬉しかったです。
昨日、セミナーのキャンセル待ち申し込みと一緒にメッセージを頂きました。
「社内通訳をやっていた時、毎日ハードで、でもお昼に青谷さんのニュースをみて元気をもらいました」
ちょっと泣いてしまいました。
あたしのニュースが人に元気を与えてたなんて。
びっくりしました。
ありがとうございます。
実はNEWLSINEのアンカーになる前はもうレギュラーはもらえないかなぁって
思う時期があったんです。
若い、優秀な外部出演者が沢山いて、ポジションは4つしかなくて、
お昼なんて一番人気のある席をもう40にもなった、子持ちの(美人でもない)おばちゃんに
やらせる・・・っていう理由もなくて、インタビューリポーターをしていました。
最初の頃はいいプロデューサーさんがいて取材にもバンバンいけていたんですが
その方が異動されてからは、だんだんそのコーナー自体が消滅しかけて
青谷も干されるようになってきて・・・。
あせりましたよ。
一応当時からいつか独立しよう!とは思っていましたが、
こんな風に消えてなくなる状態で辞めるのは絶対にいやだ!
なんとかもう一度ニュース読まないと、自分の英語アナウンサーっていう仕事を全うしないと
辞めるにやめられない!!!という気持ちもあって、勇気を出して相談しました。
「ニュース読ませてもらえませんか?」「もう一度チャンス下さい」って
「うーん、なんかもう青谷さんの時代じゃないんだよね、こう波がきてないっていうか・・・
ネイティブじゃないし・・・。まあ代打とかならね、なんかほら専門もないし・・」というお返事。
波って?・・・と愕然としましたが、仕方ない。
立候補してキャスターやるなんてできませんからね。
そこから「控え」の時代です。
ただまあ、ぎりぎりの人数でまわしてたので風邪ひいたり、
夏休みとったりする人はそこそこいるわけで、
出番もないこともない。
でも出た時は目立つので絶対に失敗は許されない。
(スターが休むから番組的にはピンチだし)
自分を「職人」と思っているところがちょっとあったので、
(図々しい話ですが・・・・スターではないし、間違えない安定感と
尺調整と番組をきれいにまとめるのはとても自信があったので)
出番がくるととにかくしっかり仕事をすることだけに努めました。
「あー××さん今日休みなんだー。」
「おはよう!」の挨拶の代わりにそんなコトバから始まる朝でしたが
「あたしは職人!」と自分に言い聞かせて仕事して
「お疲れ様でした!」と自席に戻る。
そんなこんなで日々を過ごしていたら
東日本大震災が起きました。
放送は完全フル稼動。
代打とかそんなの言ってられず、私もニュースラインチームに入りました。
無我夢中。
必死。
家に帰ると抜け殻。
そんな状態が続きましたが・・・番組が通常体制に戻ると。。。元通り。
代打だったり、吹き替えや短いリポートのナレーションやったり
資料の整理したり・・・そんな毎日がまた始まりました。
「あたしは職人!」と言い聞かせて吹き替えにもナレーションにも読みの工夫をしてみたりしましたが
「大丈夫ですよーそこまでしなくても!」と笑われたり、
がんばろうと、沢山書いたインタビュー企画は
「こんなに一度に出してきて。。。青谷さんも浅いねぇ」と
企画書を机の脇にポーンて投げ出されたり・・・
「空回り」というコトバで頭がいっぱいになったりもしました。
そんな時突然 「青谷さんに昼のニュースやってほしいっていう声が
あって。レギュラーやることになったから」と耳うちされました。
え????
見ててくれた人がいたんですね。
驚きましたが、そこから辞めるまでの3年間はホントウに思い出深く、
これまたいいチーム、いいプロデューサーやアドバイザー、
同僚キャスターに恵まれ、
朗読番組も同時進行で作れて充実した時を過ごしました。
やりきったという気持ちと同時に、
自分がやりたい道もはっきり見えてきて
2015年2月独立しました。
あれから半年。
今は控えどころかプレーするチームもなく一人でやっていますが、
過去のああいう経験が自分を支えてくれています。
小さいプライドですが、腐らず凹まず努力を続けるといいことが絶対ある。
そう信じることにしています。
鈴木選手の記事を見てそんなことを思い出しました。
おめでとう!!
盗塁絶対決めて下さいね。(ヒットも)
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